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慶長五年、秀吉急逝で混乱するさなか、会津の上杉景勝に対して謀反の疑いありと上洛と申し開きを命じた五大老筆頭徳川家康の元に、景勝の腹心・直江兼続から上洛を拒否するばかりか家康の専横を痛烈に非難する文言の書状=直江状が届けられる。激怒した家康は諸侯を呼集して会津討伐を決行。その前夜、徳川股肱の臣である鳥居元忠の伏見城を訪れ、ある重要な下知を伝える……
慶長五年(1600年)文月(七月)近江 佐和山城に蟄居する石田三成を大谷吉継が訪ねる。五大老筆頭である徳川家康の上杉討伐に、元服した三成の息子の初陣を促すべく説得に赴いたのだ。しかし太閤 豊臣秀吉亡き後、天下を伺い専横の度合いを深める家康に反撥する三成は、吉継の取り成しを断り、さらに……