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その教えは、天竺よりもなお遠い西の果てより奈良の都へともたらされた。 奈良・神護景雲三年。疫病が都を覆うなか、尼として悲田院を営む和気広虫のもとに弟・清麻呂が一冊の経典を持ち込んだ。 景教――遥かな西方から唐へと伝わった見知らぬ神の教えだった。 「病める者を救え」 その言葉は広虫の胸を強く打つ。 だが、経典にはもう一つの言葉があった。 「この教えに従わぬ者は、救われない」 その一節を前にしたとき、広虫の脳裏に浮かんだのは悲田院でともに生きる人々の顔だった。 やがて姉弟は、朝廷を揺るがす暗闘へと巻き込まれていく。 その思いを告げるため、二人は帝の御前へと向かった――。
この歴史小説は、中国の女帝である武則天と日本の女帝である持統天皇という、7世紀後半の二人の強力な女性統治者の間の架空の絆を描いています。 物語は、唐の高宗が「天皇」の称号を採用した史実を基盤としつつ、武則天がこの称号を考案し、後に持統天皇にその使用を勧めたという創作を通して展開されます。また、白村江の戦いという史実の敗北が、持統天皇に国内体制を再構築させ、「古事記」を編纂するきっかけとなる様子も描かれ、両国の文化とアイデンティティ形成に貢献したとされています。 最終的に、遠く離れた二人の女帝が、それぞれの国に「天皇」の称号と歴史書を残し、時代を超えた精神的な同志として描かれています。