あらすじ
長年連れ添った夫婦の、何でもない日常。
夕方のキッチン、食卓、テレビの音。
直子は、いつも通り家事をこなしながら、夫・浩一の言葉を受け取っている。
浩一の話し方は、昔から変わらない。
主語がなく、説明もなく、結論だけが唐突に投げられる。
直子はそれを聞き返さず、考え、補い、生活が滞らないように整えてきた。
それは特別な努力ではなく、いつの間にか身についた習慣だった。
そうすることで、家の中は静かに回り続けていた。
けれどある夜、ほんの小さなやり取りをきっかけに、
直子はそれまで当たり前にしてきたことを、少しだけやめる。
何かが壊れたわけではない。
大きな衝突も、劇的な出来事も起きない。
生活は変わらず続いていく。
ただ、言葉の扱い方だけが、以前と同じではなくなっていく。
これは、夫婦の物語であり、同時に、誰かの言葉を「引き受け続けてきた人」が、ある日それを手放すまでの、静かな一日を描いた短編である。