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指先ひとつで世界をひっくり返せるほどの力を持たされて、見知らぬ異世界に放り込まれた。 だから、誰にも関わらず、誰の運命にも触れず、辺境の宿屋の三階でひっそりと息をして生きていくと決めた。 英雄にも聖女にも、誰かのために燃え尽きるよだかの星にもなれない。 それでもそんなチート能力を忌避するくせに、今日の白湯を温めることは、荒れた手を治してしまうことは許してしまう甘えと欺瞞。 これは物語が起こらないことを願いながら、しかしこの力を捨てることもできない私の、透明で浅ましい、日々の物語。
彼女たちは、同じ系列のカフェでそれぞれの時間を守っていた。 沙織の店カフェ・ブルーム(cafe Bloom)は陽射しの似合う場所だった。 午後の柔らかい光が、彼女のまっすぐな笑顔に滲み入り、コーヒーの香りとともに記憶に残る。 一方、景子の店カフェ・ノッテ(Caffe Notte)は夜が似合っていた。 静かなジャズと共に、仕事帰りの体をほどくような温度で迎えてくれる。 気分で行き分ける日々。 けれど気分は、記憶と感情に侵食される。 どちらの店に立ち寄るか―― それは一日一日の選択ではなく、少しずつ心に溜まっていく選択の記録だった。 いつの間にか、沙織の笑顔に対面することが、僕の日常の一部になっていた。 でも景子が僕に向ける眼差しには、どこか儚くも憂いがあった。 そして二人が友人であると知ったとき、時が少しだけ止まったように感じた。 行動できぬまま、三人の時間は並走し、小さな出来事が積み重なっていった。