あらすじ
マリア・マドレーヌ・フィリップ・ジャンヌ・ドゥ・ロレーヌ・オルレアン(仏:Marie-Madeleine Philippe Jehanne d' Orleans,1905年5月1日-1929年2月15日)は、フランスのパイロット。1920年代から1930年代における、フランス-モロッコ間の民間航空路開拓に多大な業績を残した、国民的な英雄である。
生涯
公爵家の家系に名を連ね、末妹であった彼女は、しかし幼年から肺結核を患っており隔離された部屋で独り生活して居た。
その出生故死病であろうとも彼女は穏やかで波風のない生活を送る事ができただろう。
しかし華美な部屋に残り短い余生を囚われることを拒み、コネクションを最大限に活用し1921年フランス空軍に志願入隊。パイロットとしてシリアや本国で勤務後、1925年に除籍。 翌年にエアロポスタル社に入社している。
1929年2月14日、マリア・マドレーヌ・フィリップ・ジャンヌ・ドゥ・ロレーヌ・オルレアンは、フライシップ社のパイロットとして定期郵便飛行に従事し、予定されていた航路を問題なく完遂した。同日の飛行では気象条件は安定しており、機体・操縦ともに特筆すべき異常は報告されていない。郵便物はすべて予定通り各地に届けられた。
飛行終了後、彼女は所属宿舎に帰還し、同僚と通常通りの会話を交わした後、就寝した。体調について特段の異変を訴えた記録はなく、同僚に対しても平常時と変わらぬ様子で「おやすみ」と挨拶していたという。
翌1929年2月15日朝、定刻になっても起床しなかったため同僚が確認したところ、彼女は宿舎のベッド上で死亡しているのが発見された。外傷や争った形跡はなく、睡眠中に静かに息を引き取ったものと判断された。死因は持病であった肺結核に伴う衰弱とされている。
享年23。
彼女の最期は、飛行中の事故や任務中の殉職ではなく、郵便物を無事に届け終えた後の、静かな死であった。この点は当時の報道でも強調され、「最後まで航路を全うした飛行士」として語られることが多い。
彼女が開拓・維持に尽力したフランス―モロッコ間の民間航空路は、その後も運用が継続され、航空郵便網の発展に寄与した。彼女自身は短い生涯であったが、その航路と理念は後進の航空関係者に大きな影響を与えたとされる。