あらすじ
天文二十二年――信濃。
山々を赤く染める炎が、夜空を焼いていた。
村が燃えている。
逃げ惑う民の悲鳴。
倒れた兵。
泥と血に染まった大地。
武田の赤備えが、静かに進軍していた。
「……また一つ、城が落ちたか」
馬上で呟いた男の片眼は、鋭く燃えていた。
甲斐の虎――
武田信玄。
黒糸威の鎧に、風を裂く軍配。
背後には、あの旗が揺れている。
――風林火山。
疾きこと風の如く。
徐かなること林の如く。
侵掠すること火の如く。
動かざること山の如し。
信玄は、燃え落ちる城を見つめながら言った。
「信濃を乱せば、甲斐も乱れる」
低い声だった。
だが、その言葉には揺るぎがなかった。
「この地は、いずれ天下への道となる」
家臣たちは黙って頭を下げる。
その中で、一人の軍師だけが険しい顔をしていた。
山本勘助。
隻眼の軍師は、遠く北を睨んでいた。
「……問題は越後ですな」
信玄の目が細くなる。
「長尾景虎か」
その名を口にした瞬間、空気が変わった。
越後の龍。
義を重んじる若き戦の天才。
後に、上杉謙信と呼ばれる男。
勘助は静かに言った。
「いずれ、必ず来ます」
風が吹いた。
燃え盛る炎の中で、武田軍の旗が大きくはためく。
だがその頃――
遥か北、越後。
春日山城。
一人の武将が、静かに毘沙門天像の前に座していた。
白煙が揺れる。
閉じられていた目が、ゆっくり開く。
鋭い眼光。
研ぎ澄まされた気配。
男は立ち上がると、静かに槍を掴んだ。
「信濃が泣いている」
低く、しかし澄んだ声だった。
家臣たちは息を呑む。
男の背後には、一文字の旗。
――毘。
越後の龍、長尾景虎。
後の上杉謙信である。
彼は静かに外へ歩き出した。
春の風が吹く。
だが、その風はまるで戦の匂いを運んでくるようだった。
龍が動く。
そして虎もまた、牙を研いでいた。
やがて両雄は、運命の地――川中島で激突する。
まだ誰も知らない。
この戦いが、後の世まで語り継がれる“伝説”になることを。