あらすじ
山あいの町に夏の終わりを告げる「返礼日」の名簿が届く。行かなかった家の窓に夜ごと手形がひとつずつ増えるという風習に、Uターンしたばかりの木下悠真は鼻で笑う。だが今年の名簿には、半年前に亡くなった父の名が記されていた。隣家が参拝をさぼるにつれ、窓の手形は確実に増えていく。保健師の志摩と共に過去の記録を洗ううち、名簿の意味は“墓からの呼び出し”とは少し違うのではないかと思い始める。手形は消せるが、数は減らない。帳尻が合うのは、誰かがまだ支払いを済ませていないからだ。
名簿は、ポストじゃなくて牛乳受けに入っていた。
封筒は、古い紙の匂いがした。宛名はない。指で撫でると指腹が粉を吹いた。
今年も、だと母が言った。
「返礼日。回覧回すから、あんた班の分、仕切っとくれ」
母の口ぶりは、相づちと同じ軽さだった。僕は封を切って、毛筆の行を追った。姓だけが並ぶ。鵜飼、真柴、木下──そこで目が止まる。
木下の下に、もう一行があった。
木下 仁。父の名。
半年前に死んだ人間が、自治会の名簿に載るわけがない。僕は笑って、母の顔色を窺った。母は台所のタオルを握りしめたまま、窓を見ていた。
「今年は、拭いちゃだめだよ」
「なにを」
「窓。あんた、小さい頃から指でなぞる癖があるでしょう」
しらばっくれて、封筒を持ったまま玄関に戻る。外は、盆明けの湿気が溜まっている。向かいの真柴さんちの窓に、白い手形が一つ、貼りついていた。
拭けば落ちるような薄さだった。
「去年のは、二日目で二つになってた」
背中から声がした。振り返ると、自治会長の鵜飼さんが道の端に立って、額の汗を拭いていた。
「数は合うんだ。名簿とね」
「何の数がです」
「手の数」
老人はそれだけ言って、ポケットから同じ封筒を取り出し、空に透かした。紙は透けない。けれど、何かが透けたような気がした。
夜になると、手形は見えなくなった。電灯の映り込みのせいだろう。翌朝、窓ガラスはからりと乾いていた。手形は消えていた。だが母は指を折って、一から数えはじめた。
「一。ほうら、やっぱり、昨日のが一つ」
僕には何も見えなかったが、数だけが頭にこびりついた。数字は軽い。軽いのに、落ちない。