あらすじ
深夜、海辺の路地に灯りがともる。
看板もなく、暖簾に名もない小さな店——。
嗅覚を失った青年・神代蓮は、その代わりに「悩みの香り」を感じ取る力を持っていた。
鉄錆は裏切り。湿った落ち葉は言えない疲れ。焦げた琥珀は喪失。
石臼で悩みを砕き、夜明けと共に香りに変える——それが彼の仕事だった。
ある雨の夜、一人の少女が店に現れる。
傘もなく、ずぶ濡れで。
そして——何の香りも、しなかった。
色も匂いも記憶も、周囲から消えていく少女。
誰にも認識されないまま、ただそこに「在る」ことすら許されない存在。
「消えたいんです」
その言葉に、蓮の石臼は——動かなかった。
砕けない悩みがある。
感じ取れない痛みがある。
それでも、彼は諦めなかった。
これは、救う話ではない。
存在することの重さと、それでも「ここにいる」と言えるようになるまでの、静かな物語。