あらすじ
本史料は、宝治元年に中原師光が提出した勘文で、文章得業生・秀才の坐次をめぐる争いについて、前例と制度を整理したものである。問題の核心は、坐次決定において、位階や年齢といった形式的基準よりも、養子・依蔭といった門閥的出自が強く作用している点にある。
師光は、法令上は養子や孫の扱いに制限があることを確認しつつも、実務上は養父・祖父の官位や家格が学問料給付や秀才補任に大きく影響してきた事例を多数挙げる。そのうえで、こうした運用はすでに「恒典」、すなわち慣行として定着しており、旧制が存在しても容易には覆せないと結論づけている。
この史料は、鎌倉期官人登用が制度合理性よりも門閥的秩序を優先していた実態を示すとともに、官僚社会における「血」の重視が依然として強固であったことを明らかにする。