あらすじ
昭和12年9月8日、岡山県成羽町。
理容室を営む父の仕事場の隣、普段は家族の笑い声が絶えない居間で、三女・衣津子(いっちゃん)は産声をあげた。
理容室の、パリッと糊のきいた白い刈布、そして「いっちゃん、サルじゃが!」と笑った次姉の声。
そんな温かな日常は、戦争という時代の荒波によって、少しずつ、けれど確実に形を変えていく。
父の死、長姉との永遠の別れ。
八月の大空襲のわずか一週間後、七歳のいっちゃんは大人たちが「負けた」と泣く声を聞いた。
(戦争、終わったのか)
そう自問した少女を待ち受けていたのは、戦後の混迷と、「養女」として送られた先での飢えと孤独だった。
「衣津子」という名前を奪われ、理不尽なお灸の熱さに耐えかねた昭和20年秋。
八歳になったばかりのいっちゃんは、独り、見知らぬ地・門司へと流れ着く。
これは、過酷な運命に翻弄されながらも、自分の名前と居場所を取り戻そうとひたむきに生きた、一人の少女の流転の記録。